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危険を取り去れば安全か?


某ストーカー犯罪による裁判で、いろいろな論議を呼んでいるようです。
その中の『警察は事件の予見が出来たか否か』があるみたいなのですが、警察って事件を予見して動いてよいのですか?
警察の暗黙の規則に『民事不介入』の原則というのがあります。
この事件には、いろいろな状況証拠が有ったのでしょうが、まだ実際起きてもいない、
個人同士のぶつかり合い(民事)が事件に繋がると予見して警察組織は動き出してよいのでしょうか?
良いというなら、具体的にこの事件で警察はどのような動きを取るべきだったのでしょう?
ストーカーをしている人を呼びだし、取り調べたところで、その人はまだ犯罪者では無いわけですから(当時はストーカーを取り締まる法はなかった)、拘束するなど出来ないでしょう。
もし、それが許されるというなら、例えば、私が、ある人に『危害を及ぼされている』と虚偽の訴えを起こせば、
警察はそこから事件を予見し、加害者(と位置づけられてしまった人)を取り調べのために何日も拘束してくれ、
その人の(例えあとで無罪放免になったとても)社会的地位を危うくする事になるでしょう。
これはあるいは非常に利用できるものですが、世間ではこれを冤罪と呼びます。
つまり、事件を予見して警察が動くことを認める事は、ある程度の冤罪を容認するということになるはずです。
人相の悪い人、挙動不審な行動をとる人は事件を予見されて、お巡りさんに捕まってしまいます。
本当にそれで、良いのですか?


警察組織は事件が発生したときに、その事件を起した人(犯罪者)を拘束するための機関だと思います。
もちろん事件が起きないように、パトロールもしますが、それは一個人のためではなく、地域の安全のためです。
警察はボディーガードでは無いのですから。基本的に自分の身は自分達で守るしかないのです。
そのために、個人で生活するのではなく、ご近所等の地域の人々とコミュニケーションをとり(警察官も含む)、
お互いがお互いの安全を守れるよう連携をして生活することが大切なのではないでしょうか。
そういった環境に有れば、加害者となるような人物が生まれる可能性も低くなるはずです。
困ったときは神頼み的に警察に頼っても、お互いのことを何も知らない仲で何を望めるというのでしょう。


誰かが守ってくれる的発想は2001年に兵庫県明石市の花火大会で起きた歩道橋での将棋倒し事件にも見えます。
139人が死傷したってことで将棋倒しというシャレた言い方をする気になれない大事件になったようですが、
ニュース等の見解では主催者側が、警備会社が、そして警察がと、関係者は
業務上過失致死傷の疑いで書類送検となったようですが、
実際、事を起している現場にいた6000人の花火見物者には一切の責任がないのでしょうか?
この事件に関しても『事故の予見は可能だったか』が問題となったようですが、
その予見は何も主催者や警察、警備会社だけがすることではないはずです。
花火を見にきた(または見に行く)人達にも十分可能なことではないでしょうか?
たとえば『休日のディズニーランドは込む』ということは誰でもが知っている事実です。
花火がよく見える場所に行けば、たくさん人が集まってくるというのはあたりまえの事ではないでしょうか。
なぜ、6000人もの人が歩道橋に集まるまで市や警察、警備員が対策を講じなかったかを考えるより、
なぜ6000人もの人が、迷惑顧みず歩道橋に集まり続けたのかという、個人の危機管理を疑問視するべきではないでしょうか。
誰もが集団意識のなか、危険予知をせず『みんなが行くから・・・』と言う軽い考えでこの6000人の
集団を作ってしまったのなら、彼らも十分責任を感じるべきではないのでしょうか。
歩道橋を壊したのは花火見物者であって、警察や警備会社ではないのですから。


背後関係は考えませんが、
この事件を期に、花火大会は危険なのでやりませんという決定が下った場合、市民はどうのような行動を取るのでしょう?
主催者側に多くの責任を問うているわけですから、責任を取ってもう花火は・・・という決定もあり得ないことはないでしょう。


公園の遊具等で、子供が大怪我さらには死亡事故を起こした場合、その遊具は使用禁止となり、さらには撤去となるでしょう。
それは事件の原因を、安全対策に不備があった遊具に有るとしての事でしょう。
しかし、その事件の概要を聞くと、子供側の遊具の危険な使い方に原因があることは明らかなのですが(一部古い物を放置していたなどもあるようです)
それでも、危険な遊び方をするという予見をして安全対策をするべきだったという結論になるようです。
しかし、怪我をしてしまた子供は、『自分が原因でみんなが楽しく遊んでいた遊具を排除されたんだ』というような責任の感じ方はしないのでしょうか?
また、そんな思いから遊具の排除に反対する気持ちはないのでしょうか。
実際自分が小学校に通っていた頃、いくつかの遊具が消えています。
危険という理由からカッターを使用した鉛筆削り大会、ナイフを使用した梨の皮むき大会などのイベントも無くなりました。
危険(と思われる物)を排除したあとにいったい何が残るのでしょう。危険を知らない無根拠な安全意識だけではないでしょうか?


今、我々は全ての安全を他人に求めすぎた事で、多くの危険にさらされてはいないでしょうか?

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更新日時:2014/08/09